ゴーン事件の概要

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2021年4月8日木曜日

冤罪国家

 

人質司法はその部分現象

日本の歴史上、上から形式的に与えられた人権思想は存在しても、市民が自ら人権を主張したことはない。それは文字通り、人権教育を受けたことがないからである。それは君主憲法である明治憲法が形式的に国民主権の日本国憲法に代わったからとて実際にはほとんど何も変わらなかった。特に、司法権については、その官僚組織、つまり、役人は全く変わらなかったから当然と言えば当然である。

この結果が戦後から現在まで続く、日本の冤罪誤判の歴史の主たる原因に他ならない。国民は、いとも簡単に憲法が挿げ替えられれば、国民の権利関係・権利意識、公務員の順法精神なども一緒に変化すると、全く根拠のない、神話を現在まで信じ込まされている。これに一役も二役も買って出て来たのが報道機関、報道記者達である。戦前は露骨に政府御用達機関を演じたが、戦後にもその本質は全く変わらなかった。政府組織も報道機関も人間が代わらなかったのであるから当然と言えば当然である。ただ、日本は戦後復興、特に経済科学の分野では先進国に頭を並べるほどに、躍進した。この大量消費文明への向上が、国民に、精神生活の向上、レベルアップも並行しているとの誤解錯覚を生み出していることも事実である。

不都合な真実は常に政府によって隠蔽され、それを消極的にマスコミや学者知識人が協力するかたちで、常に闇の中に葬られてきた。人質司法など、昨日今日生まれたものではない。日本には古来から存在してきた。この令和の民主主義の時代においても公然と存在している。憲法が民主憲法に変革されてからも既に100年経つのに、この封建為政の人権無視の刑事司法理念が生き続けている国家なのである。いかに国民が何も知らされていないか、いかにマスコミや学界が本来の機能を果たしていないかが歴然としている。

冤罪の歴史上、人質司法の段階で失敗する例は未だ無かった。ゴーン事件が最初の人質司法の失敗例である。この結果、日本の冤罪の構造が骨の髄まで、白日にさらされる結果となった。日本のマスコミはこの期に及んでも、ゴーン事件の本質が冤罪であり、その過程の人質司法の段階で失敗した例であることを認識していない。

ほとんどの外国の記者なら、今後の展開を予想することができる。日本の記者だけが、今後の裁判の行方を予想することができない。その証拠が、怒涛の如く垂れ流していた検察リーク情報が、まるで水源が枯れた河川のように干上がってしまっている。そんな馬鹿な、事件はこれからいよいよゴーンの反撃が始まるというのにである。

日本の新聞記者は自分で裁判の中身や方向を判断する知力学力がない。刑事事件記者でありながら、刑事裁判の基本を全くしらない。これが検察官に着け込まれ、好き放題のリーク情報を垂れ流され、それをそのまま報道してきた実態がある。

今、検察がゴーンの不利な情報を垂れ流さないで沈黙しているのは何故か。せめて日本の事件記者にも、これくらいの疑問はもってほしいものである。裁判は何故進まないのか。誰か確かな専門家が解説したのか。ヤメ検やテレビ弁護士が無責任にも、「今後ゴーンの裁判は開かれない」などのガセネタ情報を垂れ流しているが、本当か。日本のマスコミが検察と一緒になって「だんまり」を決め込む姿は、恐らく世界の報道関係者には異様な光景に映るだろう。

基本法令

 

刑事司法の基本法令は憲法と刑事訴訟法である

ゴーン事件では第一の被疑事実が金融商品取引法違反容疑、第二、第三の被疑事実が会社法の特別背任容疑である。犯罪構成要件を考察する場合にはこれらの法律に言及せざるを得ない。しかし、本事件は明らかな冤罪の様相を示しており、それは明白に憲法と刑事訴訟法に違反する。しかも、捜査手続に法令違反があるだけでなく、公訴提起後の裁判手続においても法令違反が繰り返されるという二重にも三重にも法令違反がある。
以上に述べた法令違反は刑事裁判の大きな区分で言えば、本案前審理、つまり、刑事裁判を開き進めていくための法律要件であり、本案審理、つまり、犯罪構成要件に該当する事実の有無についての事実認定過程とその宣告とは区別される。

ただ、訴訟手続上、被告人弁護人は本案前審理で勝訴しても本案審理で勝訴してもよく、しかもどちらか一つで勝訴すれば必要十分であるから、主張立証の容易な方を第一選択とする。他方、検察官はどちらでも勝訴する必要があることは言うまでも無い。本件事件の場合、明かに捜査手続、証拠収集方法に違法・犯罪が明白なため、弁護団は本案前審理での争訟を第一選択とした。この弁護団が本案前審理で最初に戦うことを可能にしたのが、ゴーンが自白しなかったこと、つまり、検察側が人質司法に失敗したことである。

これで裁判は普通は検察敗訴、つまり被告人は無罪となるのだが、検察に事実上の人質司法を認めて来た裁判所は検察と一緒になって無罪判決への道程を拒否している。これが逮捕起訴以来1年2か月も第一回公判期日の指定をしないという

違法不当な訴訟指揮の結果である。裁判所は、さらに1年後に公判期日を延期する打診さえしていると言う。被告人の人権など全く考慮していないことは明白である。

ただでさえ公判手続きを遷延したいところにゴーンの国外脱出事件が起こった。一番喜んだのは検察と裁判所である。しかし残念ながら、既に弁護人が選任されており、被告人の法廷不出頭は手続停止や遷延の理由とはならないのが刑事訴訟法の規定である(刑訴法286条の2 他)。それでも強引にゴーン裁判を停止させ、あるいは公訴棄却して永遠に裁判をしないことを試みるのが検察と裁判所の今後の対応である。ともに明白に刑事訴訟法に違反し、憲法の保障する刑事被告人の人権保護の規定に違反する。

ゴーンが外国人被告人であることから、今回の国外脱出事件は様々な国際法的問題を発生させる。検察や裁判所が行った冤罪という犯罪行為がそのまま放置されることはない。闇に沈めることができるのは国内だけの話である。その意味で、ゴーン事件は新たな局面を迎えたに過ぎない。

詳細は投稿の【憲法条文】を参照下さい。

詳細は投稿の【刑訴法条文(1)】を参照下さい。

詳細は投稿の【刑訴法条文(2)】を参照下さい。

ICPO国際手配


 国民へのポーズとその失策

乱発した国際赤紙手配

最初の国際手配

ゴーンは2019年12月末に国外脱出した。国内外ともに大騒ぎとなったが、ここで日本政府はゴーンを国際手配をした。マスコミは検察リーク情報を御用達機関とばかりに垂れ流す能力しかないため、必要な正確な情報を国民に流すことができない。今回もそれが外国の情報によって暴露された。重要な事は、最初のゴーンの国際手配時には、まだゴーンについて入管法違反容疑(国外への無審査出国の罪)の逮捕状は請求されていないかった事実である。では身柄拘束は何を根拠に主張されたのか。当時、ゴーンの身柄拘束の理由となる法律的根拠は2つしかなかった。一つは直前に犯した入管法違反であり、あと一つは保釈条件違反による保釈取り消しの効果としての拘留状である。検察はこの拘留状を根拠に国際手配をした。これが後に重大な国際的法律問題を発生させた。これが外国で暴露されたのである。

日本人手配と外国人手配の根本的差異

日本人が日本国内で犯罪を犯し国外逃走した場合、国際手配して身柄引き渡しを国際的に求め、相互に協力することは合理的であり、その意味でICPOは有意義な国際協力組織である。しかし、外国人の場合、特に、外国人が母国に戻った場合、日本から見れば逃亡であっても、母国からみれば帰国である。ゴーンの場合、母国レバノンへの入国は適法な手続を経たものであったため、一層、母国から見れば、適正な帰国者であった。この場合、ICPOの規定では、ゴーンの裁判を日本で行うかレバノンで行うかの合意を40日以内に決定しなければならないとされているという。しかし既に日本では裁判が開始しており、そのような議論の余地はない。つまり、日本は本来なら身柄拘束を求めることができない事例について国際手配をしたことになる。日本はICPO規定違反を犯したことになる。ここでも重要なことは、日本の裁判所は無理にゴーンの身柄を拘束して強制的に出頭させなくても、裁判の進行、公判手続きの進行には全く支障がないことである。結局、検察は必要のない身柄拘束を求めたことになる。これも国民が何も知らされていない重大な事実である。

第二の国際手配

ゴーン夫人に対する偽証容疑の逮捕状請求と国際手配である。前記の説明を理解した人にはこの国際手配が、明かに権利濫用で最初から国内の国民向けのポーズでしかないことが理解できるであろう。検察は最初からゴーン夫人の身柄引き渡しが不可能なことは百も承知で国際手配した。勿論、夫人の母国での裁判に合意する筈もなく、今回も結論は有耶無耶となり、実際のゴーン夫人の逮捕や引渡しが行われることは無い。検察は最初からこの予定であった。ゴーン夫人の名誉を棄損しただけの国際犯罪と言える。国際手配しておいて、ゴーン夫人の母国での裁判を拒否したことは、法的には正当と認められる余地はなく、将来、日本政府はゴーン夫人から損害賠償請求訴訟を提起されることになる。

第三の国際手配

検察はやっと、ゴーンとアメリカ人数人を入管法違反罪と犯人隠避罪で逮捕状をとり、国際手配をした。しかしもはやゴーンの母国のレバノンがゴーンの身柄を引き渡すことはなく、勿論、アメリカ政府も同様である。アメリカ政府はゴーンの裁判が何処で行われるかを見極めなければ身柄引き渡しはできないのであるから、一層、日本への身柄引き渡しの可能性は無い。これらのことは既に自明の事実であって、検察は再び、国内の何も知らない国民むけにポーズとしての国際手配を行った。ゴーンは入管法違反罪については正当防衛を主張し、無罪を主張するであろうから、将来、検察の名誉棄損行為に対する法的反撃を行うことは必至である。

刑訴法条文(2)


刑事司法手続きに関する基本法

ゴーン事件に関係する条項

公判手続編1

公判期日指定

起訴状が裁判所に提出され、その謄本が被告人に送達されれば、事件は裁判所の管轄下に入る。被告人の身柄も裁判所の管轄下となる。裁判所は被告人に対し、弁護人の選任を命じ、選任された弁護士弁護人と検察官と裁判官の3者によって被告人の刑事責任の有無について法律的で専門的な手続が進行する。この裁判所管轄下の手続を公判手続きと呼ぶ</p>
<p>公判手続は基本的に検察官の主張と立証に対して、弁護人の反論主張と立証の構造となっている。これを民事訴訟と同列に表現して「当事者主義」とか「対審構造」と呼んでいる。裁判官は両者の言い分のどちらが証拠に照らし論理的で合理的であるかを判定する行司役として位置づけられている。

実際の訴訟行為は裁判所の法廷で日時を決定して進められるから、これを公判期日と呼び、これは裁判官の訴訟指揮権として指定決定権限が認められている。日本の刑事裁判の実際ではこの裁判官の訴訟指揮権の濫用が目に余るのである。

ゴーン事件では逮捕起訴以来、1年2か月以上、第一回公判期日さえ指定されていない。明らかに憲法で保障する被告人の裁判を受ける権利、迅速な裁判を受ける権利を侵害している。

何故裁判官は期日指定をしないのか。結論を端的に言えば、人質司法に失敗した検察は有罪となる有力な証拠を持たないため、裁判を進めれば無罪判決しかない。だから、検察官は証拠開示に抵抗し、裁判官がこれを容認しているからである。

実際は、本来手続を効率的に迅速に進めるため、論点整理のための公判前整理手続きにおいて、検察官が本件司法取引に関する証拠開示に抵抗を示し、それを裁判官が認容しているため、公判期日の指定ができないでいる。

検察官が収集した証拠が違法手続であれば、証拠は法的に認められ無い。こんな世界共通の違法収集証拠排除則を日本の裁判官は認めようとしないのである。これをマスコミが報道しないから、国民も知らない。ゴーンは国外から、この日本の前時代的で人権を無視した刑事手続きを弾劾することになる。

条文

第二百七十三条 裁判長は、公判期日を定めなければならない。
2 公判期日には、被告人を召喚しなければならない。
3 公判期日は、これを検察官、弁護人及び補佐人に通知しなければならない。

ゴーン事件に関係する条項

公訴手続編2

被告人出頭不能

裁判官が不当に長期間期日指定をしないという違法状態の時、誰もが想定しない事件が起きた。ゴーンの国外脱出である。これを一番喜んだのは裁判官であり検察官であった。まだ裁判も開いていないのに、検察官はゴーンが有罪を覚悟して、それから違法に国外逃走した旨のリーク情報をマスコミに流し、日本のマスコミはこの有罪逃亡説一色で染め上がった。著名なヤメ検弁護士若狭勝氏は有名なテレビ情報番組で何度も、今後ゴーンの裁判は開かれないと断言した。同じく、司法研修所で刑事弁護教官がウリの菊池弁護士も、今後、ゴーン裁判はゴーンが法廷に出頭できるまで、塩漬けになると解説した。

著名弁護士らの解説は正当だろうか。先ずこれらの著名弁護士には被告人の人権という観点が全く欠如していることである。かれらは、一応、「被告人は無罪の推定を受ける」という有名句は必ず口にだすが、全く行動には反映されていない。完全な言行不一致である。ゴーンが刑事裁判を受けられなくなることをまるで裁判官や検察官と一緒になって歓迎しているかの如きである。ゴーンは一貫して無罪を主張しており、彼の無罪を求める権利、不当に起訴されたことに対する反論の権利は弁護士として守る必要があるのではないか。特に、刑事裁判の当事者主義、対審構造から言えば、被告人本人の出頭不能は公判手続きの進行には問題がない、という視点を全く欠いていることである。これが、素人である国民相手の故意の欠落か、本当に勉強不足、理解不足で論理的に刑訴法を知らないのかは本人らにしか分からないが、少なくとも国民は、かれらの結論が一面的な謬論であることを理解する必要がある。

謬論の根本的な理由は、彼らがたった一つの条文しか見ていないこと、刑訴法の基本には被告人保護の思想があるという点を失念していることにある。彼らが金科玉条とする条文が、法286条である。

条文

第二百八十六条 前三条に規定する場合の外、被告人が公判期日に出頭しないときは、開廷することはできない。

刑訴法が裁判官や検察官のためにあるとする立場であれば、法286条は原則規定で、前3条と次条286条の2は例外規定となる。一方、刑訴法が被告人保護のためにあるとする立場では前3条と次条286条の2がそれぞれが原則規定で、法286条を原則規定とは看做さないただの並列規定になる。ここで、そもそも原則だ例外だと色分けして考えることが法解釈学としては邪道であり、論理的に誤りであることに気付くべきである。それぞれの条文について、原則だ例外だとの色分け色眼鏡を外して解説すると、以下の通りとなる。敢えて言えば、全ての条文を正確に文言どおりに考察する立場と言える。順次前3条から解説する。そして最後に法286条の法意を確定する。

法283条 被告人が法人の場合: 本人は自然人ではないから、出廷させることは不可能である。重要なことは、ここでも、被告本人が出廷しないくても、公判手続きは何の問題なく進行できることが大前提にある。

法284条 軽微事件: 何を基準に軽微か否かの区別をするかもただの立法政策の問題であり、公判手続進行の本質には無関係である。つまり、ここでも、被告人本人が出廷しなくても公判手続きは進行できることが大前提である。

法285条1項 拘留に当る事件: 前条は軽微な罰金・過料事件であったが、本条1項は拘留事件である。この条文には極めて重要な文言が存在する。それは、「被告人の出頭がその権利の保護のため重要でないと認めるときは」不出頭が許容されることである。ここでも被告人本人の不出頭が公判手続き進行には問題がないことが大前提である。

法285条2項 3年以下の懲役、50万円以上の罰金事件:冒頭手続き(起訴状の朗読等がある)と判決の宣告の場合にだけは出頭を要するが、それ以外の公判期日には前項と同じ扱いをする。ここでも、被告人本人の不在廷が公判手続きの進行にとって障害とならないことが前提となっている。

法286条の2 法文の体裁は法286条の例外規定となっている。: 「前3条」の具体的内容を見て、法286条の2の内容を見れば、法286条の趣旨は自ずと明らかとなる。特に、法286条の2は法286条の例外規定となっており、著名弁護士2名がいくら法286条を根拠としても、明白に例外規定が存在するから、これを無視することは出来ない。

法286条の2 の趣旨: 被告人本人が出頭を義務付けられている場合(つまり法286条の適用がある場合)でも被告本人が出廷に頑強に抵抗し拒絶した場合には被告人本人の出廷がなくても公判手続きを進めることができるとする規定である。著名弁護士2名は明らかにこの規定の趣旨を無視している。念の為条文を掲示しておく。

第二百八十六条の二 被告人が出頭しなければ開廷することができない場合において、勾留されている被告人が、公判期日に召喚を受け、正当な理由がなく出頭を拒否し、刑事施設職員による引致を著しく困難にしたときは、裁判所は、被告人が出頭しないでも、その期日の公判手続を行うことができる。

刑訴法条文(1)


刑事司法手続きに関する基本法

ゴーン事件に関係する条項

捜査手続編1

司法取引

日本法制史上、最悪の立法と言っても過言ではない。検察が従来から行って来た「ヤミ司法取引」を何と法律で堂々と行うことを可能にした最悪の法律である。これは日本の立法が事実上官僚に支配され、国会議員はただの「飾り」だという実態を反映したものでもある。刑事訴訟法は法務官僚、即ち、検察官と裁判官らによって、都合よく改変及び解釈されている。在野の弁護士らは民事弁護で生業重視の生活で手一杯で、違法立法の監視など全く期待できない。学者に至っては、ほぼ司法試験や公務員試験の予備校講師程度の力量しかなく、全く学界としての社会的機能・実務監視機能を喪失している。これが日本の法治主義の実態でもある。

正義を実現する手続である司法手続に本来、利益や効率・結果の達成を目的とする「取引」があってはならない。許される最小限の場合が、被告人の利益となる場合である。それも被告人が同意や合意してのうえである。

今回導入された司法取引法は全く被告人の利益に反し、検察官・裁判官の利益のためだけに資する国家の法としてはその存在が許されないものである。もっとも共犯事件のみに適用される、共犯者裏切り型・責任転嫁型・冤罪可能型であるから、協力共犯者にだけは利益となるが、有罪とされた共犯者には最悪の制度となる。

この制度の悪質なところは、今回、在野の弁護士まで加担させたことである。これで、在野に悪徳弁護士が多数存在することも証明されたし、どのような種類の弁護士が協力するかも国民には明らかになってきた。悪名高きヤメ検弁護士らである。違法手続とわかっていて協力する弁護士らだから、それ以外にはまともな弁護士はいない。ここまで司法界が腐敗してきているのであるから、国民もそろそろ目を覚ますべきではないか。

加担弁護士が如何に悪事を働くかについては別稿で詳論している。

憲法条文


刑事司法手続きに関する規定

適正手続条項

Due Process of Law

憲法第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

本条は、アメリカ合衆国憲法修正第5条および第14条の「何人も、法の適正な手続き(Due process of law)によらずに、生命、自由、または財産を奪われることはない」という、デュー・プロセス・オブ・ローに由来する。

これは単に法律の条文に従えば良いという意味では全く無い。法律が適正であること、解釈が適正であることまでを要求している。勿論、適正な法律が存在しないことも、本条違反となる。

ゴーン事件では検察の行為には,違法な司法取引の他、公訴時効法違反、金商法違反、人質司法、数多くの刑訴法違反(これは裁判所との共同行為)と驚くほどの法律違反がある。検察が一方的にリーク情報を流してマスコミを誘導していることもゴーンの主張するように、守秘義務違反である。冤罪は単に事実認定の誤りではなく、膨大な法律違反を伴った検察と裁判所の犯罪である。

迅速裁判請求権

上限の規定がない現実 無限裁判

憲法第37条1項  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

この迅速裁判義務規定を引き受ける具体的法律の規定がない。文字通り画餅である。このため、事実に争いがある事件では5年10年の裁判はザラにある。特に有名冤罪事件では15年近くのものが複数あり、甲山事件では確定判決となるまでに25年の歳月を費やした。これが憲法を頂点とする法治国家と法匪が主張する実態である。

ゴーン事件も逮捕起訴以来、既に1年2か月もなるのに、第一回公判期日さえ指定されていない。検察が抵抗し、裁判所がそれを容認しているからである。何故か。検察は人質司法の失敗により、自白という唯一の有力証拠を獲得できなかった。しかも、司法取引というそれ自体違法な手続で証拠を収集した。弁護団からこれらについて証拠開示を求められており、それを頑強に否定しているからである。

論説(冤罪類型論)

 

冤罪類型論1

法律の解釈の局面で発生する型    不能犯型 誤解釈型 中間型  がある

具体的な例でいえば本件有報虚偽記載事件が不能犯型で、白山丸事件が誤解釈型、ゴーン夫人の偽証罪事件が中間型である。厳密に言えば、本件有報虚偽記載事件には公訴時効の問題があるから、不能犯型と誤解釈型の連結型である。因にゴーンの国外脱出を助勢したアメリカ人に対する犯人隠避罪については誤解釈型である。

今回の入国管理法違反(無審査出国罪)については中間型と類似の問題がある。犯罪論では構成要件該当性では違法性は認定されるが、責任性は別論である。ゴーンは単に無審査出国罪を犯したのではなく、違法な長期拘束の次には、不当な裁判の長期化(既に逮捕起訴から1年2か月にもなるのに第一回公判期日の指定すらない状況)を目の当たりにして、出国を決意したと述べているように、違反は正当防衛にあたる可能性がたかい。違法性阻却事由の存在である。かかる場合にも検察の公訴提起は不当違法であるから冤罪未遂被害と言えよう。

冤罪類型論2

事実認定の局面で発生する型   いわゆる事実誤認である

前者が罪でないものを罪とするのに比べ、本類型は犯人でないものを犯人とする類型である。世間の人は冤罪と言えば本類型を想定する。前者は狙い撃ち型であり、本類型は強引当て嵌め型である。両者に共通する違法手続が、強制による自白である。

日本の裁判官の辞書には「事実誤認」という言葉はない。弁護人がどれだけ事実誤認を訴えても認められ無い結果が99.9%の有罪率でもある。但し、論理的には有罪率を議論する場合には否認事件についての有罪率でなければならず、犯罪を自認する事件は有罪となるのが当然だからである。

事実の概要 (5)



100億円訴訟の意味

日産の株主には申し訳ないが、筆者はこの報道を聞いて、噴飯した。ゴーンは日産が2年以内に倒産すると公言している。事実、株価はクーデター事件以来確実に長期低落傾向にある。これはトヨタが上昇傾向、ホンダでも横ばい状態から見れば明らかな危険信号である。国民は100億円訴訟といってもピンとこないだろうが、大事なことは、100億円の売掛代金の回収等の確実な債権ではなく、不法行為や善管注意義務違反を理由とする取締役の責任追及訴訟であることである。本体の背任事件ですら、検察と裁判所は回避するのに汲汲としており、別動隊が背任の責任を追及するということがいかに馬鹿げているかは一目瞭然である。

本当に企業の行為として馬鹿げているという意味は、本件訴訟は結審までに5年10年かかり、その間に、日産そのものが消失し存在しなくなる可能性が大であること、つまり、代理人弁護士に着手金として一人3億円、弁護団5名として15億円の着手金を当初に出費することである。その後、年間経費を出費しても、勝訴の可能性は全くない訴訟である。

会社法訴訟で、役員に対する損害賠償請求訴訟は非常に困難で難解である。それは会社の行為が取締役会の承認に基づいており、よほどのデタラメワンマン経営者でない限り、会社に対する損害を一人の代表取締役の責任と認定することが困難だからである。この訴訟を引き受ける弁護士は会社法を知らないのではないかとさえ断言できる。

2021年4月7日水曜日

論説(冤罪基本論)

冤罪の責任者は裁判官である

被告人の有罪無罪を最終的に判断決定するのは裁判官であるから、冤罪の責任は裁判官にあるのは極めて当然のことである。しかし、日本では冤罪判決を裁判官が絶えず繰り返しても、その責任をとって何等かの処分を受けたという話を聞いたことが無い。これが民主主義社会として異常なこと「おかしいこと」と国民が思わないように教育されていることが問題である。アジアの隣国で「反日教育」がされていると日本人は憤る。日本人社会の中で「公務員甘やかし教育」がされていることを先ず日本人は反省すべきではないか。冤罪によって、罪のない人が現に苦しめられているのだから。

冤罪は法律家による犯罪である。

冤罪は裁判という法律専門家だけが関与操作できる手続で生み出されるのであるから、主犯が裁判官というだけで、検察官も弁護人も共犯者である。過去の大きな冤罪事件では国選弁護人が無罪弁護をせず、最初から有罪承認の情状弁護だけで終わっている例が大半である。これを共犯と言わずして何と言う。この根本原因は裁判を神殿の奥の秘儀としてきた法律家全員の責任である。法律の条文が難解であることを権威のよりどころとするからこのような結果となる。法律家の底の浅さが冤罪の根本理由の一つであることを国民は知る必要がある。

論説(大本営発表と検察リーク情報)

大本営発表

太平洋戦争時、大本営は国民の戦意を鼓舞向上させるためだけに虚偽の情報を国民に流した。その広報拡散役が報道機関・報道記者達であった。戦後、識者はこぞって、大本営を批判したが、その手先となったメディアについては自己批判も反省も聞かれなかった。ゴーン事件の報道は、大本営が検察に代わっただけで、記者が情報を鵜呑みにしている点は全く同じである。メディアは再び同じ過ちを犯す歴史を繰り返している。

検察リーク情報

ゴーン事件では、裁判で証拠に基づく正確な情報の公開公報の前に、既にゴーンは真っ黒の有罪者として検察のリーク情報によって染め上げられてしまっている。検察のリーク情報が真である保証はない。ここまでであれば、戦前、大本営が虚偽の戦況を発表したのと全く同じである。ゴーンが自由の身になって海外から発表する検察にとって不都合な真実があれば、それはまさに、国民は平成令和の大本営発表に踊らされたことになる。

事実の概要 (4)

 

人質司法の失敗

強制的な自白の獲得に失敗した検察にはもはや有力な証拠は何もない。

人質司法は言い換えれば自白中心裁判である。検察はこれに失敗したので、ゴーンを有罪にする有力な証拠を持たないから、裁判の結果は見えている。ここで検察官と裁判官が採る方法は、可能な限り裁判を長期化することである。

既にその兆候は現れている。逮捕起訴して1年3か月にもなるのに、第一回公判期日さえ指定されていないのである。期日指定が遅延している理由は、驚くべきことに、審理を迅速に効率よくするための制度である筈の公判前整理手続きにおいて、検察が司法取引に関する証拠開示を拒否し、抵抗し、それを裁判所が容認しているためである。検察は自己の利益のためなら、迅速裁判のために法が定める事前整理手続きであっても、公然と蹂躙無視するのである。

脱出事件の悪用

弁護人選が選任されていれば、被告人出頭不能でも公判手続きは開始しなければならない。

裁判所が期日指定を遅延している最中にゴーンの国外脱出事件が起こった。弁護人が選任されているから、被告人の法廷出頭不能が起こっただけである。刑事訴訟法は明文でこの場合でも公判手続きができることを規定している(法286条の2)。それにも拘わらず、裁判所は無意味な公判分離手続を取った。明らかにゴーンの裁判を一時停止又は公訴棄却するものと思われる。そうなれば、完全な憲法違反であり、刑事訴訟法違反となる。

煙幕作戦

検察は国民の関心を目先の事件に誘導した。

検察は実効性のないICPO手配を乱発し、自ら、自縄自縛のアリ地獄に落ち込んでいる。ICPO手配は加盟国の平等主義と世界主議の理念のもとに運営されており、検察が国内向けのポーズや煙幕作戦として利用すれば、手痛いしっぺ返しをうけることを知らないでいる。先ず第一に被手配者の裁判地の合意を40日以内に合意することを求められている。被手配者が日本人でなければ、当然の手続であり、ここで頓挫することは明白である。第二に、被手配者から国際手配の取消請求を受けるだろう。本気で罪の処罰を考えているなら裁判地に拘る理由はないから、合意の拒否は不誠実そのものと評価判断される。

2021年4月6日火曜日

事実の概要 (3)


司法取引法理

あり得ない共犯、自称共犯の疑惑

日本の司法取引法は検察官司法と批判されてきた日本の刑事司法の本質的欠陥が見事に露呈した法制度である。充分な論理的検討が全くされず、検察の検察による検察のための制度となっている。

協力合意成立の時期は決定的に重要である

共犯事件において、公訴提起後であれば、裁判官の目もあり、弁護人の目もあるから、共犯者の一人が他の共犯者の不利益証言、つまり敵性証人となっても問題はない。検察官も協力合意形成の過程を開示するのに躊躇は何もない。この場合、協力合意者は被告人と呼ばれる。問題は公訴提起前の捜査段階での司法取引である。裁判官の目も弁護人の目もない世界であるから、文字通り闇の世界となる。一般的抽象論であれば、議論が錯綜するから、本件の例で考察する。

疑惑の司法取引

検察と協力共犯者の最初の接点が疑惑そのものである

2名の自称共犯者ハリ・ナダ専務執行役員と大沼敏明理事はどのようにして検察と接点をもったのか。先ず論理的前提として、2名の自称共犯者は共犯者としての自覚がなければならない。しかし、共犯者としての自覚があれば、自分が共犯者であること自体を第三者に対して否定する。証拠となる事実を隠蔽し否定する。何故隠蔽し、否定しなかったのか。それほど4人の犯罪は明白であったのか。

ここですぐ重大な矛盾に逢着する。犯罪が明白なものであれば、内部監査役をはじめ外部監査役、外部監査法人、そしてSECは何故8年間も見落としてきたのか。

そこでどうしても犯罪とされた事実を罪名と犯罪構成要件から検討する必要がある。

有価証券報告書重要事項虚偽記載罪

本件の重要事項は役員報酬事項である

具体的な役員報酬額の決定権者3名(ゴーンとケリーと西川)が決定した報酬額には、特にゴーンについてだけ2重の決定がされたという。各期に現実に受け取る役員報酬の他、ほぼ同額の金額が、将来の退任時に競業避止契約やコンサル契約の際の契約金額として具体的な金額が明示され、書面にされ、その書面をハリ・ナダと大沼が秘書室の金庫の中に秘密に保管するよう命令されていたという。この「将来報酬決定書」の隠蔽行為という点で、ハリ・ナダと大沼は共犯加功が認められたという。

企業会計上、将来の役員報酬なる会計費目はない。役員が将来退任時に受け取る報酬には退職金や功労金があるが、それらは全て勤務年数に従った承認された算定基準があり、それに応じた引当金が準備されている。従ってそれらの規定に準拠しない報酬はそもそも取締役会で承認をうけることができないから、会社債務、すなわち、役員に対する報酬とは如何なる意味でもあり得ない。刑事法学の用語で言えば、不能犯である。

事実の概要 (2)


 公訴時効の無視

 検察の横暴を支える最高裁判例

SECが検察に歩調を合わせず、直近の3年分について行政処分と刑事告発したことには重大な理由がある。それは検察自体が、前半の5年分と後半直近3年分を分離して公訴提起したこととも大きく関係する。刑訴法学者は全員、過去の不明を恥じて黙殺を決め込んでいる。それは前半5年分は公訴時効にかかっているからである。

日本の刑事訴訟判例には恥ずべき判例がある。それは58年前に出された白山丸事件として有名な公訴時効に関する判例である。現実には「海外に逃げても時効は完成しない」との民間知識で世間にひろまっているポピュラー知識である。</p><p>検察はこの最高裁判例を盾に、時効完成事例でも、犯人の海外渡航歴を調査し、時効は完成していない、として無数の事件を立件してきた。これは海外に渡航して仕事をする人々、特に外国人には極めて差別的な結果をもたらした。

ゴーン事件も例外ではない。ゴーンはもともと外国に居住する外国人であるから、むしろ日本にいる期間は少ない。このような立場のゴーンに対し、「海外にいる間は時効は完成しない」として海外滞在期間が時効停止期間として計算された結果、8年前まで遡って起訴された。

この検察の時効停止期間の算定には極めて重大な判例違反と論理違反があるが、例にもれず、学者の一人としてその重大判例違反を指摘するものはいない。判例がそもそも違法判例である上に、さらに違法解釈を重ねたのであるから、法治国との看板はすぐにでも下ろすべきである。

何が判例違反か、から説明する。判例の事案は密出国事犯であり、1回の密出国の後、再入国して密出国が露見して起訴され有罪となった。公訴時効の停止期間は連続した1個の期間であった。ゴーンの場合は入国と出国を繰り返した間歇的な出国期間である。検察は何とこれを単純加算した。明らかに判例事案とは異なる事案に勝手な解釈で、間歇的出国期間を合算した。これだけで明らかに判例違反である。念の為、何故、間歇的出国期間の合算が背理であるかを説明する。それは入国した途端に時効の進行は開始し、過去に時効停止期間の存在があるなしに拘わらず、犯罪既遂時である時効起算点から法定の時効期間で時効が完成するからである。

そもそも白山丸事件判例そのものが違法判例である理由は当時から刑事訴訟法学会で大論争となったことからも明白である。但し、当時は学者の論理的正義は裁判官や検察官の学説・論理無視の横暴に敗北した。当時から、この判決では海外赴任者を不当に差別するとの指摘がなされていた。60年後の現在では明らかに外国人差別の判例としてゴーン事件で脚光を浴びなければならないのだが、あまりにも判例が生まれた時代が古すぎて、だれも具体的に判例の事案と論理を再検討しないため、結論だけが相変わらず一人歩きを続けている。

白山丸事件最高裁判例

直接問題となったのは刑事訴訟法255条1項前段の「犯人が国外にいる場合」が単独で公訴時効停止の要件となるか、それとも、「犯人が国外にいる場合」と「犯人が逃げ隠れている」(場合:この日本語の2文字が存在しないため、最高裁は強引な解釈を強行した。筆者注。)の2つの例文を並列させ、「有効に起訴状の謄本の送達・・ができなかった場合(ここに「場合」があるため、「場合」による形式的区分が可能となり、最高裁の強行解釈がなされた。筆者注。)、時効は、・・・停止する、と解釈するかの判断が分かれた。

最高裁判例は「場合」という術語の存在で2つの並列文と形式的に解釈した。一方、普通の日本人は、「場合」の文字の位置に拘らず、意味を考慮して、起訴状の謄本が到達できない例を2つ掲げ、その場合には時効は停止する、と解釈した。

最高裁の解釈が正しいか、普通の日本人の解釈が正しいかの決め手は、実は前条254条の公訴時効の原則規定の中にある。判り易く言えば、公訴時効の停止するための前提条件は、検察官が公訴の提起ができる段階にあることである。文言では単に、検察官の公訴の提起によって停止するとのみ記述されているが、その時点まで事件が成熟していなければ、公訴時効の停止は発生しない、認められ無いということである。時効制度の本質は一定の客観的事実の存在に対して法的効果を発生させるものである。特に、公訴時効は検察官の公訴権の消滅時効であるから、検察官の客観的な法律行為の存在を要件とする。それが公訴提起に他ならない。

しかし、これだけでは問題は解決しない。それは起訴状の不到達の場合をどうするかの問題である。第254条は到達の場合についてのみ規定して、不到達の場合を記述していない。そこで、第255条で、起訴状の不到達の場合を補充的に規定した。不到達の場合などの例を掲げなければ全く問題がなかったものを、いい加減な不正確な日本語表現で、例示を2つ掲げたために、検察官に悪用され、それをさらに裁判官が強引解釈をして応援した。

しかし問題はこれで終わらなかった。「犯人が国外にいる」だけで、時効が停止する合理的理由を示さねばならない破目になった。これに成功すれば問題はなかったが、最高裁は見事に失敗した。しかし、当時の学説は誰もこの失敗を指摘しなかった。だからこの違法判例は生き残ったのである。

判例は言う。犯人が国外にいれば、国の捜査権が及ばず、捜査が出来ないから、その間、時効が停止するとすることには合理的な理由があるといえる、と。これが真っ赤な謬論であることは少し具体的に考察すれば明らかとなる。因に、白山丸の事案でその欺瞞を指摘しよう。密出国罪は領海を超えた時点で既遂となる。その後、犯人が国外にいて何をしようが犯罪とは関係ないから、捜査の必要もない。領海までの範囲内なら捜査の支障は何もない。他の国内犯はすべて犯人が国外にいても捜査の困難性は何も無い。国外犯の場合には確かに日本の捜査権は及ばないが、最初に当地の刑罰権が適用されるから、むしろ、国権の発動は二重処罰となる。捜査ができなくても不都合は全くない。如何に最高裁の理由づけが

文字通り机上の空論であるかは明白である。

2021年4月5日月曜日

事実の概要 (1)


 人質司法からの脱出

 突然の逮捕

2018年11月19日、ゴーンは突然逮捕された。これを独占生中継したのはテレビ朝日一社だけという一大スクープであった。このあと、朝日新聞の怒涛の如きゴーンの犯罪報道が一週間にわたって一面トップ記事として続いた。事前にしかも相当長期間にわたって準備された官民一体の犯罪報道であった。

世界的大企業のトップが突然、金融商品取引法違反、それも有価証券報告書重要事項虚偽記載罪の容疑で逮捕されるというのは極めて稀であり、そもそもトップ2名だけが逮捕されるという形態そのものが法論理的に有り得ないものであった。ただ、この法理論上の矛盾は未だに専門家によって指摘されていない。これが日本の企業会計論、会社法の実務の実態である。

報道記者は法律に無知無教養だから逮捕手続の詳細を知らない。ゴーンの逮捕には一応の証拠が必要であり、それが会社会計資料であることは罪名から当然である。そして、会社会計資料が、トップ2名の知らない間に検察に任意提供されることは窃盗や犯罪手段による以外には考えられない。これを誤魔化すために用いられたのが耳新しい司法取引であった。報道記者らは一層煙に巻かれてしまった。

 陰謀の発覚

 準備万端の日産幹部とフランス大使の体験。

全く事情が呑み込めなかったゴーンは面会に来たフランス大使に、すぐ日産に弁護人選任を依頼した。フランス大使は直ちに日産を訪問してゴーンの依頼を伝えた。しかし、言下に拒否された。極めて予想外の対応である。会社のトップが逮捕されたのだから、会社は先ず一番に弁護人選任に走るのが常識である。

ここで、フランス大使は残りの取締役らの違背を悟り、直ちにその旨を伝えた。ゴーンはこれで事件の全て、本質を理解した。

事件が残りの取締役らによって仕組まれた陰謀であることは、実は当初から自慢話として報道されていた。それはケリーに対する陰謀である。ケリーは体調不良で、静養のため国外に身を置いていた。東京本社からの出社依頼を当初断っていた。それをなだめすかしてなんとか来日させ、素早く身柄拘束をした、と報道されていた。思えば、既にこの時点でゴーンとケリーは真っ黒な犯罪者で、有罪推定は当然であった。

ゴーンは一貫して事件は検察と謀反取締役らによる陰謀であると主張したが、日本のマスコミは一社として聞く耳を持たなかった。

 被疑事実の明らかな濡れ衣

 検察の独善解釈と沈黙する主務官庁。

金融商品取引法(以下金商法)を一度でも目を通した経験があれば、同法が発行会社を対象とした行政処分の根拠法であることが理解できる。刑事処分は膨大な条文数のうち、有価証券報告書重要事項虚偽記載罪に関する条文は第197条1項と第207条1項1号だけである。前者は提出者を処罰する規定で、後者は虚偽記載行為をした者を処罰する。各事項の記載は各部門の担当者であり、その全体を取締役が最終的に取締役会で確認・承認する手順であるから、このような規制となっている。

問題は重要性の判断基準である。数量的な記載であるから、真実数値との乖離がどの程度なら重要といえるかどうかの判断となる。その重要性の判断は投資家の判断に影響を及ぼす程度でなければならない。本件の具体的事項は役員報酬であり、役員報酬の決定プロセスは公開されている。それによれば、当期の役員報酬の総額は株主総会で決定され、具体的な個々の役員に対する報酬は取締役会の決定によるが、日産では具体的金額の決定はさらに3名の取締役に委任されている。

ゴーンとケリーと西川廣人の3名による合議決定に委ねられている。この手順であれば、役員報酬の総額が株主総会の議決以内であれば、問題を生じない。事実、日産の役員報酬はこの要件を充足してきた。

検察は何をもって虚偽記載としたのか。検察の主張によれば、ゴーンは毎期の公表された役員報酬の他、およそそれと同額のヤミの報酬を受けていたと主張する。但し、その報酬は将来の役員退任時に、競業避止契約や社外コンサル契約の報酬額とするとして、毎期、具体的金額まで決定し、書面にして秘書室金庫に内密に保管させていた、という。

検察は明らかに企業会計の初歩を知らない。役員報酬は会社債務であるから、将来に支払われる債務であっても、発生主義であるから、各期に引当金とともに取締役会の承認を経なければ正式の債務とはならない。そもそも3名の取締役による具体的報酬金額の決定は、あくまで取締役会に提出する支給案であり、取締役会の承認がなければ、金庫の奥に有ろうが机の上にあろうが、秘密であろうがなかろうが全くただの紙切れに過ぎない。

監督官庁・SECをはじめ、内部監査役、外部監査会社の公認会計士が誰一人、長年、虚偽記載を指摘しなかたこと、検察がゴーンを検挙しても同じ構成要件でありながら行政処分の一つでもださなかったこと、沈黙を続けたことは、極めて当然のことである。但し、SECは後に直近3年分については検察と歩調を合わせ、行政処分と刑事告発をした。すでに刑事手続きが着手されているにも拘わらず、刑事告発をした例は寡聞にして知らず。直近3年分には極めて大きなメッセージがこめられており、別途詳論する。


反文理解釈


冤罪の構造としては事実そのものを捏造する場合と法律の解釈を歪曲する場合とがある。
反文理解釈は後者の場合で、一般的には違法解釈と言われている。

 反文理解釈の例1

 時効法の例

刑事訴訟法上の公訴時効停止の定義条文はわずか2条である。この条文に関して60年近く、違法な解釈が罷り通っている。この状況だけでも如何に日本の刑事司法に学問的論理的検討がなされていないかの証左である。

条文の構成、立法技術から言えば、法254条が原則規定で、次条の255条が補足規定である。しかし、60年前の検察官と裁判官は255条を独立の公訴時効停止規定として254条と同列・並列ととらえた。もっともこれは後付の説明であって当時の検察官も裁判官も、ただ単に実際に密出国罪について提起された公訴を有効なものと強弁したかったに過ぎない。

時効法は民事も刑事も客観的で、証拠により一義的に証明できる事実についてその効果を規定する。公訴時効は検察官の公訴権の消滅時効であるから、検察官の公訴権の不行使が消滅時効の進行の論理的根拠である。従って、公訴権の行使とみられる検察官の客観的な法律行為によってのみ、時効を停止させることができる。

その原則が法244条に規定する「公訴の提起」である。ただ、公訴の提起があっても、その公訴が棄却されることがある。その場合には公訴時効の停止はなくなる。ここまでが法254条に記述されている。

しかし、もう一つ、極めて重大な例外事実が存在する。それが、起訴状の謄本が被告人に到達できない場合である。この場合には公訴自体が有効に成立しないから、公訴棄却となる。しかしこの場合の公訴棄却の原因は明らかに法244条が予定する公訴棄却と異なる。検察官には何ら落ち度がない。そこで検察官に何らの落ち度がなく公訴棄却となる例外的な場合について、補足的に法255条で規定した。

法255条後段はまさに公訴棄却となる場合である。勿論、最高裁判例が言う前段は公訴棄却はおろか、検察官の行為とは全く無関係の「犯人の位置的状況」だけである。これに如何なる意味でも「客観的な検察官の公訴権の行使」との意味はない。つまり、全く論理的にも法理的にも時効停止効は認められない。

最高裁の判例は海外赴任の日本人や外国居住の外国人には最初から時効利益を認めないから、不合理な差別として憲法違反の判例であった。当時から学説・下級審判決の批判があった。これが現実化したのがゴーン事件に他ならない。

 反文理解釈の例2

 金商法の例

ゴーンの第一の被疑事実は有価証券報告書重要事項虚偽記載罪である。それも逮捕時から8年も遡った時期の有価証券報告書についてから始まった。時効期間は3年だから、SECが遅れて直近の3年について告発してきたことと好対照である。但し、検察は用心深く、5年分と直近の3年分に分けて起訴しており、何もしらないマスコミはこの分断起訴を不思議がるだけであった。本当にリーク情報だけで記事を書いている事情が丸見えだった。

罪名が冗長だけでなく、記者の中には有価証券報告書自体を見たことがない者も相当数いたように思える。何故なら、日産の公表している有価証券報告書には極めて重要な記述である、役員報酬の具体的決定権者が当時ゴーンとケリーと西川の3名と明示してあるのだから、役員報酬の記載に関してゴーンとケリーだけが逮捕起訴される矛盾に、何よりも最初に気付かなければならないからである。

ゴーンが逮捕された被疑事実は役員報酬事項に虚偽記載をした、というものである。しかもそれが、「重要」と判断される程度のものであったという。

リーク情報ながら、公表された虚偽記載の内容は世間を驚かせるものであった。ゴーンは各事業期間毎に公表された役員報酬のほぼ倍額の役員報酬を受けていて、それを記載しなかったという。

世間の大多数の人は、一体どのような名目で不正の役員報酬を受けていたかと注目したが、流れて来た情報に、再び誰しも驚いた。実際には何も金銭は受け取ってはおらず、ただ、将来の退任時に競業避止契約やコンサル契約を締結することとその際の契約金の金額が、毎期に具体的数値で表現された合意書の合計額となることが決定されていた、という。この合意書は金庫の中に秘密に保管されていたという。これを検察は具体的な数値が毎期に決定されており、将来支払われる役員報酬に他ならないと「解釈」したのだった。

役員報酬が毎期に取締役会の承認決定により法的に成立することは企業会計の初学者でも知っている。検察の定義する将来の役員報酬なるものは少なくとも現在の企業会計原則には存在しない。検察独善の解釈である。

 反文理解釈の例3

 会社法の例1

本命の犯罪とされた特別背任罪容疑は二つある。その最初の一つが、ゴーン個人名義の金融派生商品の名義付替え事件である。この事件はSECも把握認識しており、それ故、SECの注意勧告により契約関係は同一事業期間内で元に戻され、事業期間末期には損失も利益も発生しない結果に終わっている。

ゴーンの説明によれば、名義付替えの条件として清算時に損失が出た場合、ゴーンが役員報酬を担保として保障する他、全額を負担するとの条件で取締役会の承認を得ているとのことであり、事実、その旨の議事録も存在した。結局、ゴーンは知人を保証人としてこの問題を解決した。つまり、ゴーンは日産に保証人となってもらったのであり、現在まで、当該の金融派生商品の取引で、ゴーンは損失を生じていないという。

以上の内容のゴーンと日産の契約締結関係が特別背任罪として逮捕起訴された。ゴーンに日産に損失を与える故意はなく、清算前に契約を解除しており、背任罪は成立しない。

会社法の例2

第二の背任罪容疑事実は、完全な検察の妄想である。日産から販売代理店に適正に交付された販売奨励金が、その実、ゴーンと販売代理店オーナーとの間に分配の密約があり、その密約に従って、販売代理店から最終的にゴーンの妻が代表を務める会社に入金された、と検察は主張する。

確かにゴーンと販売代理店オーナーとの間には親しい関係が成立しており、販売代理店のオーナーが最終的にゴーンの妻の会社に資金提供した事実もあるようである。問題はその資金提供の趣旨・動機である。オーナーが厚遇の継続を期待してゴーンの妻の会社に出資、投資、供与とその名称に拘わらず、資金提供したとしても、それは長年の取引上で生じた忖度の関係であり、ゴーンが販売奨励金の金額について、特に他の販売代理店とは異なる特別な待遇を指示していない限り、忖度、阿吽の呼吸の関係であり、犯罪とすることはできない。

そもそも販売奨励金の提供が認められており、その金額が特別に異常なものでない限り、犯罪を認めることは出来ない。検察は無論、誰にも適正金額と違法金額の境界を客観的に明示区分することはできない。

法の解釈が法匪に独占されている国は法治国ではない。

日本語で書かれている法律の条文を何故日本人は見ないのか。自分の目で見て自分の頭で何故理解確認しないのか。日本の法的後進性はこの一語に尽きる。法律を難しいものと勝手に思い込まされ、実際に見てみても大部分は理解ができない。

かくして、日本の法律界には壮大な権威主義が成立している。この権威主義世界で、神主か巫女のように神のお告げを伝える役を独占しているのが弁護士であり、裁判官はさしずめ、神である。日本の神はしょっちゅう誤りを犯す。その被害者が冤罪被害者に他ならない。

報道機関・学問研究機関の冤罪共犯性

国民が冤罪に鈍感なことは、教育と報道の結果である。国民の大多数は膨大な量の冤罪が産生されてきた事実、今でも産生されている事実を知らされていないから知らない。明らかな冤罪であるゴーン事件を冤罪と正面切って発言する専門家は郷原信郎弁護士を除いて知らない。これが何万人も弁護士のいる国か、言論の自由や個人的人権が保障された国かと心底思う。

司法取引

日本版司法取引法は仲間裏切り型共犯者責任転嫁型であり、存在形式そのものが法秩序に違反し善良な風俗に反する。生まれながらの犯罪立法であり、このような法律が成立 すること自体、日本の法制度の後進性未熟性であり法治主義に反する。

冤罪の原因となる不法な法制度である。

 弁護士倫理違反

日本版司法取引は共犯者と受任弁護士及び検察官の3者の合意で成立する。協力共犯者は他の共犯者について証言したり証拠を提出して捜査協力を行い、検察官はこの協力に、刑事責任の各種の軽減免除手段で対応する(この点で裁判官の科刑裁量権を不当に制限する)。受任弁護士は協力共犯者の保佐人的立場で同意書に署名する。司法取引の内容は書面により確認され3者の合意により成立する。

ここで直ちに明らかになることは、受任弁護士が最初から協力共犯者の共犯性を認めていることである。この時点では協力共犯者は自称共犯者でしかない。自称共犯者は無罪かもしれないし、主犯かもしれない。真実の追及もしないまま、自称共犯者の言いなりで合意書面に同意署名することは、明かに弁護士倫理に反する。真実義務に違反するからである。

真実無罪の場合には依頼人利益に反するから、委任の本旨に反する。当然、協力共犯者が責任逃れのため無実や罪の軽い共犯者に責任転嫁しているかどうかの確認もできていないから、他の共犯者との関係では受任弁護士は違法行為者となる。この問題は構造的なものであるから、日本版司法取引法は存在形式が違法犯罪である。

 自称共犯者の問題

共犯者の自白はその信用性において従来からも問題視されてきた。供述証拠の信用性はただでさえ真偽を確認することが困難なうえ、責任転嫁のため、虚偽の証言をする可能性が高いのであるから、それに同意弁護士がついたとて、何の信用性の担保にはならない。

過去に見られた共犯者の自白には共犯者ですらないのに、自己の他の犯罪を軽くするため、ヤミ契約により共犯者自白をした例もある。問題は誰が同意弁護士を引き受けるのか。これが悪名高いヤメ検であることはもはや国民誰もが知っている。結局、日本の司法取引はヤメ検弁護士と現役検察官の協同作品としての張子の虎である。何のために創ったか。

自称共犯者の裏切りこそが検察の泣き所である。本件でもハリ・ナダと大沼敏明が自分は共犯ではない、と言い出したら、検察は全ての主張が崩れてしまう。裁判は敗訴する上、責任問題も浮上する。そんな時こそ、ヤメ検が防波堤となってくれることは言うまでも無い。

ハリ・ナダと大沼は刑事責任こそ免れているが、民事責任は別論である。陰謀が続いても崩れ去っても、これら2名の会社に対する責任の株主総会での追及は不可避である。ゴーンは日産の株主でもあり、大株主にルノーがいる。これら2名の命運は風前の灯火である。

 違法収集証拠

本件では2名の自称共犯者が存在するが、被疑犯罪の形態上、証拠となる会計資料はすべて会社の所有物であり、それを会社の許諾なしで第三者に提供することは窃盗罪となる。会計資料の内容を口頭で供述しても犯罪であることには何らかわりはない。結局、協力共犯者は泥棒をして捜査協力したもので、違法捜査である。

これは法律の専門家である受任弁護士は無論、検察官にも自明の事実である。証拠は違法収集証拠となり、証拠能力が否定される。それ故、弁護団の司法取引に関する証拠の開示請求に検察は抵抗し続けた。

 従来から存在するヤミの司法取引

本件事件は表の司法取引とヤミの司法取引が同時に存在する希少な例である。ヤミの司法取引は検察官と本来被疑者となるべき者との間のヤミの非合法契約であるから、その存在を直接証明することはできない。しかし本来被疑者となるべき者が被疑者とならず、検挙されたゴーンとケリーに対して敵性証人となり証言することで、その存在が推認される。

本件事件では西川元代表取締役がそれである。

 闇に葬られる本件司法取引の運命

人質司法が失敗したため、検察は有効な証拠でゴーンらを有罪と立証することが出来なくなった。そこにきて、ゴーンの国外脱出である。検察・裁判所が全力を挙げて判決阻止に走ることは明白である。人質司法の失敗は、司法取引の犯罪性の露呈を意味する。

これを隠蔽するためにもゴーンの裁判は開かれない。開かれないままにすることはできないから、数年後、または数十年後、交代した裁判官が、何食わぬ顔をして公訴棄却をすることになる。人が忘れた頃に。

だが、ゴーンは黙ってこの検察と裁判所の不正行為を見逃すことは無い。反撃としてのあらゆる法的手段や裁判が国内外で勃発する。ゴーンは既に国際手配の不当性を世界にアピールしている。ICPOが国際手配を取消せば、日本の面目は丸つぶれとなることは必定である。

詳細は投稿の【ICPO国際手配】を参照下さい。

陰謀


 ゴーン事件が陰謀によって仕組まれた冤罪であることは逮捕時に全て兆候が現れていた

 フランス大使が見た陰謀

逮捕直後に接見したフランス大使はゴーンに依頼され日産本社に急行し、弁護人選任依頼を伝えた。そこで大使が見た光景は平然とその依頼を拒否する残りの取締役らであった。すべて、逮捕は予定の行動であった。

これらの事実はゴーンが海外逃走して発言が自由になった時点で初めて明かされた事実である。日本のマスコミはこの報道があっても何も関心を示さない。感覚麻痺以前の問題である。否、検察リーク情報で有罪一色の報道だから、無実を示す真実が出てくれば、無視・黙殺するしか手が無いというのが実情である。

ケリーの場合はもっと陰謀は赤裸々に行われた。来日の予定がなかったため、陰謀でおびき出し、すぐさま逮捕したことが当初から報道された。紛れもない推定有罪報道である。

 逮捕状発布手続から見える陰謀

逮捕状は犯罪の嫌疑とそれを一応証明する証拠の提示を令状裁判官に示して発布される。ゴーンの被疑事実は有報の重要事項虚偽記載罪である。つまり、その証拠資料には会社所有の会計資料が中心に含まれている。

会社所有の会計資料は取締役会または代表権者の承諾によってのみ第三者・検察警察に任意提供される。日産の代表権者であったゴーンとケリーが知らない間に証拠資料が任意提出されたのであるから、これは窃盗行為であり、陰謀である。誰が検察に任意提出したのか。

少し考えて叩けば、ぼろぼろ埃の出る検察の捜査であるが、リーク情報にたよりきっている日本のマスコミには無理な作業と見える。外国の記者には、おぼろげながら冤罪の概要が見えてきているに違いない。

 日産法人の追加的起訴に見える陰謀

 日産は有報虚偽記載罪については主犯である。最初に先ず行政処分を受け、次に刑事処分としての罰金刑をを受ける。刑事処分について取締役まで刑事処分する場合はその虚偽記載が証券取引に重大な被害を与え、刑事処分もやむなしとの事情がある場合であって、しかもそれは当該有報を承認した役員全員でなければならない。

当然、内部監査役も含まれる。如何なる意味でもゴーンとケリーの2名に限定される合理的法的根拠はない。全く処罰の順序が逆であり恣意的で偏頗である。特に、後れて起訴された日産法人がいち早く罪状を認めたことがなによりも陰謀であることを如実に物語っている。通常なら、ゴーン、ケリーが争っているのだから、本来同罪の残りの取締役ら役員も争うのが道理である。

 陰謀は長期間にわたって練られている

ゴーンやケリーを日産から追放するには有報虚偽記載罪では明らかに無理である。そこで陰謀者らはもっと重罪である特別背任罪での責任追及を考えた。この犯罪であれば大株主のルノーもゴーンを擁護できない。そこで特別背任罪の証拠を収集するためには何が何でも日産本社や外国支社に強制捜査ができる糸口となる犯罪で先ず逮捕起訴するしかない。

この強制捜査の口実となったのが、形式犯の有価証券報告書重要事項虚偽記載罪であった。
しかしもともと犯罪でないものを犯罪として検挙したものだから、本丸の特別背任罪の有力な決定的証拠を入手する前に破綻してしまった。これは検察がグローバル企業の命運をも左右した冤罪事件として歴史に残る大事件である。

 沈黙を守る監督官庁    -残された疑問-

金商法違反(有報虚偽記載罪)と会社法違反(特別背任罪)とでは全く監督官庁の立場は異なる。事実、ゴーンの個人的取引である金融派生商品の名義付替え問題についてはSECは疑義を示し、是正された。それにも拘わらず検察は起訴した。

第一の特別背任容疑である。問題は第二の特別背任容疑である。これは完全に正常な取引の外形があるため、犯罪を立証するためには、ゴーンと日産から販売奨励金を受けた販売代理店のオーナーとの間に、支給された販売奨励金に関する事前の分け前契約の存在が必要となる。これは性質上、完全な自白証拠しかあり得ない。

ゴーンが一貫してそのような秘密の分け前契約など存在しないと主張する一方、検察が長期拘束してまでも自白を強要したことは、もし、販売代理店オーナーの自白がとれていない限り完全な冤罪となる。ゴーンが居住を制限され、自由な行動が一切許されなかったことはこのオーナーに接触を図ることを禁止するためであった。

 やがてこのオーナーの自白の有無を含め真実が明らかとなるであろう。