ゴーン事件の概要

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2021年4月5日月曜日

反文理解釈


冤罪の構造としては事実そのものを捏造する場合と法律の解釈を歪曲する場合とがある。
反文理解釈は後者の場合で、一般的には違法解釈と言われている。

 反文理解釈の例1

 時効法の例

刑事訴訟法上の公訴時効停止の定義条文はわずか2条である。この条文に関して60年近く、違法な解釈が罷り通っている。この状況だけでも如何に日本の刑事司法に学問的論理的検討がなされていないかの証左である。

条文の構成、立法技術から言えば、法254条が原則規定で、次条の255条が補足規定である。しかし、60年前の検察官と裁判官は255条を独立の公訴時効停止規定として254条と同列・並列ととらえた。もっともこれは後付の説明であって当時の検察官も裁判官も、ただ単に実際に密出国罪について提起された公訴を有効なものと強弁したかったに過ぎない。

時効法は民事も刑事も客観的で、証拠により一義的に証明できる事実についてその効果を規定する。公訴時効は検察官の公訴権の消滅時効であるから、検察官の公訴権の不行使が消滅時効の進行の論理的根拠である。従って、公訴権の行使とみられる検察官の客観的な法律行為によってのみ、時効を停止させることができる。

その原則が法244条に規定する「公訴の提起」である。ただ、公訴の提起があっても、その公訴が棄却されることがある。その場合には公訴時効の停止はなくなる。ここまでが法254条に記述されている。

しかし、もう一つ、極めて重大な例外事実が存在する。それが、起訴状の謄本が被告人に到達できない場合である。この場合には公訴自体が有効に成立しないから、公訴棄却となる。しかしこの場合の公訴棄却の原因は明らかに法244条が予定する公訴棄却と異なる。検察官には何ら落ち度がない。そこで検察官に何らの落ち度がなく公訴棄却となる例外的な場合について、補足的に法255条で規定した。

法255条後段はまさに公訴棄却となる場合である。勿論、最高裁判例が言う前段は公訴棄却はおろか、検察官の行為とは全く無関係の「犯人の位置的状況」だけである。これに如何なる意味でも「客観的な検察官の公訴権の行使」との意味はない。つまり、全く論理的にも法理的にも時効停止効は認められない。

最高裁の判例は海外赴任の日本人や外国居住の外国人には最初から時効利益を認めないから、不合理な差別として憲法違反の判例であった。当時から学説・下級審判決の批判があった。これが現実化したのがゴーン事件に他ならない。

 反文理解釈の例2

 金商法の例

ゴーンの第一の被疑事実は有価証券報告書重要事項虚偽記載罪である。それも逮捕時から8年も遡った時期の有価証券報告書についてから始まった。時効期間は3年だから、SECが遅れて直近の3年について告発してきたことと好対照である。但し、検察は用心深く、5年分と直近の3年分に分けて起訴しており、何もしらないマスコミはこの分断起訴を不思議がるだけであった。本当にリーク情報だけで記事を書いている事情が丸見えだった。

罪名が冗長だけでなく、記者の中には有価証券報告書自体を見たことがない者も相当数いたように思える。何故なら、日産の公表している有価証券報告書には極めて重要な記述である、役員報酬の具体的決定権者が当時ゴーンとケリーと西川の3名と明示してあるのだから、役員報酬の記載に関してゴーンとケリーだけが逮捕起訴される矛盾に、何よりも最初に気付かなければならないからである。

ゴーンが逮捕された被疑事実は役員報酬事項に虚偽記載をした、というものである。しかもそれが、「重要」と判断される程度のものであったという。

リーク情報ながら、公表された虚偽記載の内容は世間を驚かせるものであった。ゴーンは各事業期間毎に公表された役員報酬のほぼ倍額の役員報酬を受けていて、それを記載しなかったという。

世間の大多数の人は、一体どのような名目で不正の役員報酬を受けていたかと注目したが、流れて来た情報に、再び誰しも驚いた。実際には何も金銭は受け取ってはおらず、ただ、将来の退任時に競業避止契約やコンサル契約を締結することとその際の契約金の金額が、毎期に具体的数値で表現された合意書の合計額となることが決定されていた、という。この合意書は金庫の中に秘密に保管されていたという。これを検察は具体的な数値が毎期に決定されており、将来支払われる役員報酬に他ならないと「解釈」したのだった。

役員報酬が毎期に取締役会の承認決定により法的に成立することは企業会計の初学者でも知っている。検察の定義する将来の役員報酬なるものは少なくとも現在の企業会計原則には存在しない。検察独善の解釈である。

 反文理解釈の例3

 会社法の例1

本命の犯罪とされた特別背任罪容疑は二つある。その最初の一つが、ゴーン個人名義の金融派生商品の名義付替え事件である。この事件はSECも把握認識しており、それ故、SECの注意勧告により契約関係は同一事業期間内で元に戻され、事業期間末期には損失も利益も発生しない結果に終わっている。

ゴーンの説明によれば、名義付替えの条件として清算時に損失が出た場合、ゴーンが役員報酬を担保として保障する他、全額を負担するとの条件で取締役会の承認を得ているとのことであり、事実、その旨の議事録も存在した。結局、ゴーンは知人を保証人としてこの問題を解決した。つまり、ゴーンは日産に保証人となってもらったのであり、現在まで、当該の金融派生商品の取引で、ゴーンは損失を生じていないという。

以上の内容のゴーンと日産の契約締結関係が特別背任罪として逮捕起訴された。ゴーンに日産に損失を与える故意はなく、清算前に契約を解除しており、背任罪は成立しない。

会社法の例2

第二の背任罪容疑事実は、完全な検察の妄想である。日産から販売代理店に適正に交付された販売奨励金が、その実、ゴーンと販売代理店オーナーとの間に分配の密約があり、その密約に従って、販売代理店から最終的にゴーンの妻が代表を務める会社に入金された、と検察は主張する。

確かにゴーンと販売代理店オーナーとの間には親しい関係が成立しており、販売代理店のオーナーが最終的にゴーンの妻の会社に資金提供した事実もあるようである。問題はその資金提供の趣旨・動機である。オーナーが厚遇の継続を期待してゴーンの妻の会社に出資、投資、供与とその名称に拘わらず、資金提供したとしても、それは長年の取引上で生じた忖度の関係であり、ゴーンが販売奨励金の金額について、特に他の販売代理店とは異なる特別な待遇を指示していない限り、忖度、阿吽の呼吸の関係であり、犯罪とすることはできない。

そもそも販売奨励金の提供が認められており、その金額が特別に異常なものでない限り、犯罪を認めることは出来ない。検察は無論、誰にも適正金額と違法金額の境界を客観的に明示区分することはできない。

法の解釈が法匪に独占されている国は法治国ではない。

日本語で書かれている法律の条文を何故日本人は見ないのか。自分の目で見て自分の頭で何故理解確認しないのか。日本の法的後進性はこの一語に尽きる。法律を難しいものと勝手に思い込まされ、実際に見てみても大部分は理解ができない。

かくして、日本の法律界には壮大な権威主義が成立している。この権威主義世界で、神主か巫女のように神のお告げを伝える役を独占しているのが弁護士であり、裁判官はさしずめ、神である。日本の神はしょっちゅう誤りを犯す。その被害者が冤罪被害者に他ならない。

報道機関・学問研究機関の冤罪共犯性

国民が冤罪に鈍感なことは、教育と報道の結果である。国民の大多数は膨大な量の冤罪が産生されてきた事実、今でも産生されている事実を知らされていないから知らない。明らかな冤罪であるゴーン事件を冤罪と正面切って発言する専門家は郷原信郎弁護士を除いて知らない。これが何万人も弁護士のいる国か、言論の自由や個人的人権が保障された国かと心底思う。

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