ゴーン事件の概要

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2021年4月8日木曜日

刑訴法条文(2)


刑事司法手続きに関する基本法

ゴーン事件に関係する条項

公判手続編1

公判期日指定

起訴状が裁判所に提出され、その謄本が被告人に送達されれば、事件は裁判所の管轄下に入る。被告人の身柄も裁判所の管轄下となる。裁判所は被告人に対し、弁護人の選任を命じ、選任された弁護士弁護人と検察官と裁判官の3者によって被告人の刑事責任の有無について法律的で専門的な手続が進行する。この裁判所管轄下の手続を公判手続きと呼ぶ</p>
<p>公判手続は基本的に検察官の主張と立証に対して、弁護人の反論主張と立証の構造となっている。これを民事訴訟と同列に表現して「当事者主義」とか「対審構造」と呼んでいる。裁判官は両者の言い分のどちらが証拠に照らし論理的で合理的であるかを判定する行司役として位置づけられている。

実際の訴訟行為は裁判所の法廷で日時を決定して進められるから、これを公判期日と呼び、これは裁判官の訴訟指揮権として指定決定権限が認められている。日本の刑事裁判の実際ではこの裁判官の訴訟指揮権の濫用が目に余るのである。

ゴーン事件では逮捕起訴以来、1年2か月以上、第一回公判期日さえ指定されていない。明らかに憲法で保障する被告人の裁判を受ける権利、迅速な裁判を受ける権利を侵害している。

何故裁判官は期日指定をしないのか。結論を端的に言えば、人質司法に失敗した検察は有罪となる有力な証拠を持たないため、裁判を進めれば無罪判決しかない。だから、検察官は証拠開示に抵抗し、裁判官がこれを容認しているからである。

実際は、本来手続を効率的に迅速に進めるため、論点整理のための公判前整理手続きにおいて、検察官が本件司法取引に関する証拠開示に抵抗を示し、それを裁判官が認容しているため、公判期日の指定ができないでいる。

検察官が収集した証拠が違法手続であれば、証拠は法的に認められ無い。こんな世界共通の違法収集証拠排除則を日本の裁判官は認めようとしないのである。これをマスコミが報道しないから、国民も知らない。ゴーンは国外から、この日本の前時代的で人権を無視した刑事手続きを弾劾することになる。

条文

第二百七十三条 裁判長は、公判期日を定めなければならない。
2 公判期日には、被告人を召喚しなければならない。
3 公判期日は、これを検察官、弁護人及び補佐人に通知しなければならない。

ゴーン事件に関係する条項

公訴手続編2

被告人出頭不能

裁判官が不当に長期間期日指定をしないという違法状態の時、誰もが想定しない事件が起きた。ゴーンの国外脱出である。これを一番喜んだのは裁判官であり検察官であった。まだ裁判も開いていないのに、検察官はゴーンが有罪を覚悟して、それから違法に国外逃走した旨のリーク情報をマスコミに流し、日本のマスコミはこの有罪逃亡説一色で染め上がった。著名なヤメ検弁護士若狭勝氏は有名なテレビ情報番組で何度も、今後ゴーンの裁判は開かれないと断言した。同じく、司法研修所で刑事弁護教官がウリの菊池弁護士も、今後、ゴーン裁判はゴーンが法廷に出頭できるまで、塩漬けになると解説した。

著名弁護士らの解説は正当だろうか。先ずこれらの著名弁護士には被告人の人権という観点が全く欠如していることである。かれらは、一応、「被告人は無罪の推定を受ける」という有名句は必ず口にだすが、全く行動には反映されていない。完全な言行不一致である。ゴーンが刑事裁判を受けられなくなることをまるで裁判官や検察官と一緒になって歓迎しているかの如きである。ゴーンは一貫して無罪を主張しており、彼の無罪を求める権利、不当に起訴されたことに対する反論の権利は弁護士として守る必要があるのではないか。特に、刑事裁判の当事者主義、対審構造から言えば、被告人本人の出頭不能は公判手続きの進行には問題がない、という視点を全く欠いていることである。これが、素人である国民相手の故意の欠落か、本当に勉強不足、理解不足で論理的に刑訴法を知らないのかは本人らにしか分からないが、少なくとも国民は、かれらの結論が一面的な謬論であることを理解する必要がある。

謬論の根本的な理由は、彼らがたった一つの条文しか見ていないこと、刑訴法の基本には被告人保護の思想があるという点を失念していることにある。彼らが金科玉条とする条文が、法286条である。

条文

第二百八十六条 前三条に規定する場合の外、被告人が公判期日に出頭しないときは、開廷することはできない。

刑訴法が裁判官や検察官のためにあるとする立場であれば、法286条は原則規定で、前3条と次条286条の2は例外規定となる。一方、刑訴法が被告人保護のためにあるとする立場では前3条と次条286条の2がそれぞれが原則規定で、法286条を原則規定とは看做さないただの並列規定になる。ここで、そもそも原則だ例外だと色分けして考えることが法解釈学としては邪道であり、論理的に誤りであることに気付くべきである。それぞれの条文について、原則だ例外だとの色分け色眼鏡を外して解説すると、以下の通りとなる。敢えて言えば、全ての条文を正確に文言どおりに考察する立場と言える。順次前3条から解説する。そして最後に法286条の法意を確定する。

法283条 被告人が法人の場合: 本人は自然人ではないから、出廷させることは不可能である。重要なことは、ここでも、被告本人が出廷しないくても、公判手続きは何の問題なく進行できることが大前提にある。

法284条 軽微事件: 何を基準に軽微か否かの区別をするかもただの立法政策の問題であり、公判手続進行の本質には無関係である。つまり、ここでも、被告人本人が出廷しなくても公判手続きは進行できることが大前提である。

法285条1項 拘留に当る事件: 前条は軽微な罰金・過料事件であったが、本条1項は拘留事件である。この条文には極めて重要な文言が存在する。それは、「被告人の出頭がその権利の保護のため重要でないと認めるときは」不出頭が許容されることである。ここでも被告人本人の不出頭が公判手続き進行には問題がないことが大前提である。

法285条2項 3年以下の懲役、50万円以上の罰金事件:冒頭手続き(起訴状の朗読等がある)と判決の宣告の場合にだけは出頭を要するが、それ以外の公判期日には前項と同じ扱いをする。ここでも、被告人本人の不在廷が公判手続きの進行にとって障害とならないことが前提となっている。

法286条の2 法文の体裁は法286条の例外規定となっている。: 「前3条」の具体的内容を見て、法286条の2の内容を見れば、法286条の趣旨は自ずと明らかとなる。特に、法286条の2は法286条の例外規定となっており、著名弁護士2名がいくら法286条を根拠としても、明白に例外規定が存在するから、これを無視することは出来ない。

法286条の2 の趣旨: 被告人本人が出頭を義務付けられている場合(つまり法286条の適用がある場合)でも被告本人が出廷に頑強に抵抗し拒絶した場合には被告人本人の出廷がなくても公判手続きを進めることができるとする規定である。著名弁護士2名は明らかにこの規定の趣旨を無視している。念の為条文を掲示しておく。

第二百八十六条の二 被告人が出頭しなければ開廷することができない場合において、勾留されている被告人が、公判期日に召喚を受け、正当な理由がなく出頭を拒否し、刑事施設職員による引致を著しく困難にしたときは、裁判所は、被告人が出頭しないでも、その期日の公判手続を行うことができる。