ゴーン事件の概要

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2021年4月6日火曜日

事実の概要 (2)


 公訴時効の無視

 検察の横暴を支える最高裁判例

SECが検察に歩調を合わせず、直近の3年分について行政処分と刑事告発したことには重大な理由がある。それは検察自体が、前半の5年分と後半直近3年分を分離して公訴提起したこととも大きく関係する。刑訴法学者は全員、過去の不明を恥じて黙殺を決め込んでいる。それは前半5年分は公訴時効にかかっているからである。

日本の刑事訴訟判例には恥ずべき判例がある。それは58年前に出された白山丸事件として有名な公訴時効に関する判例である。現実には「海外に逃げても時効は完成しない」との民間知識で世間にひろまっているポピュラー知識である。</p><p>検察はこの最高裁判例を盾に、時効完成事例でも、犯人の海外渡航歴を調査し、時効は完成していない、として無数の事件を立件してきた。これは海外に渡航して仕事をする人々、特に外国人には極めて差別的な結果をもたらした。

ゴーン事件も例外ではない。ゴーンはもともと外国に居住する外国人であるから、むしろ日本にいる期間は少ない。このような立場のゴーンに対し、「海外にいる間は時効は完成しない」として海外滞在期間が時効停止期間として計算された結果、8年前まで遡って起訴された。

この検察の時効停止期間の算定には極めて重大な判例違反と論理違反があるが、例にもれず、学者の一人としてその重大判例違反を指摘するものはいない。判例がそもそも違法判例である上に、さらに違法解釈を重ねたのであるから、法治国との看板はすぐにでも下ろすべきである。

何が判例違反か、から説明する。判例の事案は密出国事犯であり、1回の密出国の後、再入国して密出国が露見して起訴され有罪となった。公訴時効の停止期間は連続した1個の期間であった。ゴーンの場合は入国と出国を繰り返した間歇的な出国期間である。検察は何とこれを単純加算した。明らかに判例事案とは異なる事案に勝手な解釈で、間歇的出国期間を合算した。これだけで明らかに判例違反である。念の為、何故、間歇的出国期間の合算が背理であるかを説明する。それは入国した途端に時効の進行は開始し、過去に時効停止期間の存在があるなしに拘わらず、犯罪既遂時である時効起算点から法定の時効期間で時効が完成するからである。

そもそも白山丸事件判例そのものが違法判例である理由は当時から刑事訴訟法学会で大論争となったことからも明白である。但し、当時は学者の論理的正義は裁判官や検察官の学説・論理無視の横暴に敗北した。当時から、この判決では海外赴任者を不当に差別するとの指摘がなされていた。60年後の現在では明らかに外国人差別の判例としてゴーン事件で脚光を浴びなければならないのだが、あまりにも判例が生まれた時代が古すぎて、だれも具体的に判例の事案と論理を再検討しないため、結論だけが相変わらず一人歩きを続けている。

白山丸事件最高裁判例

直接問題となったのは刑事訴訟法255条1項前段の「犯人が国外にいる場合」が単独で公訴時効停止の要件となるか、それとも、「犯人が国外にいる場合」と「犯人が逃げ隠れている」(場合:この日本語の2文字が存在しないため、最高裁は強引な解釈を強行した。筆者注。)の2つの例文を並列させ、「有効に起訴状の謄本の送達・・ができなかった場合(ここに「場合」があるため、「場合」による形式的区分が可能となり、最高裁の強行解釈がなされた。筆者注。)、時効は、・・・停止する、と解釈するかの判断が分かれた。

最高裁判例は「場合」という術語の存在で2つの並列文と形式的に解釈した。一方、普通の日本人は、「場合」の文字の位置に拘らず、意味を考慮して、起訴状の謄本が到達できない例を2つ掲げ、その場合には時効は停止する、と解釈した。

最高裁の解釈が正しいか、普通の日本人の解釈が正しいかの決め手は、実は前条254条の公訴時効の原則規定の中にある。判り易く言えば、公訴時効の停止するための前提条件は、検察官が公訴の提起ができる段階にあることである。文言では単に、検察官の公訴の提起によって停止するとのみ記述されているが、その時点まで事件が成熟していなければ、公訴時効の停止は発生しない、認められ無いということである。時効制度の本質は一定の客観的事実の存在に対して法的効果を発生させるものである。特に、公訴時効は検察官の公訴権の消滅時効であるから、検察官の客観的な法律行為の存在を要件とする。それが公訴提起に他ならない。

しかし、これだけでは問題は解決しない。それは起訴状の不到達の場合をどうするかの問題である。第254条は到達の場合についてのみ規定して、不到達の場合を記述していない。そこで、第255条で、起訴状の不到達の場合を補充的に規定した。不到達の場合などの例を掲げなければ全く問題がなかったものを、いい加減な不正確な日本語表現で、例示を2つ掲げたために、検察官に悪用され、それをさらに裁判官が強引解釈をして応援した。

しかし問題はこれで終わらなかった。「犯人が国外にいる」だけで、時効が停止する合理的理由を示さねばならない破目になった。これに成功すれば問題はなかったが、最高裁は見事に失敗した。しかし、当時の学説は誰もこの失敗を指摘しなかった。だからこの違法判例は生き残ったのである。

判例は言う。犯人が国外にいれば、国の捜査権が及ばず、捜査が出来ないから、その間、時効が停止するとすることには合理的な理由があるといえる、と。これが真っ赤な謬論であることは少し具体的に考察すれば明らかとなる。因に、白山丸の事案でその欺瞞を指摘しよう。密出国罪は領海を超えた時点で既遂となる。その後、犯人が国外にいて何をしようが犯罪とは関係ないから、捜査の必要もない。領海までの範囲内なら捜査の支障は何もない。他の国内犯はすべて犯人が国外にいても捜査の困難性は何も無い。国外犯の場合には確かに日本の捜査権は及ばないが、最初に当地の刑罰権が適用されるから、むしろ、国権の発動は二重処罰となる。捜査ができなくても不都合は全くない。如何に最高裁の理由づけが

文字通り机上の空論であるかは明白である。